愛するということ

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        愛は技術だろうか。

        技術だとしたら、

        知識と努力が必要だ。



        愛は、

        人間のなかにある能動的な力である。

        人をほかの人々から隔てている壁

        をぶち破る力であり、

        人と人を結びつける力である。



        愛は能動的な活動であり、

        受動的な感情ではない。

        そのなかに“落ちる”ものではなく、

        “みずから踏みこむ”ものである。



        たくさん持っている人が豊かな

        のではなく、

        たくさん与える人が豊かなのだ。



        もらうために与えるのではない。

        与えること自体がこのうえない

        喜びなのだ。



        愛とは愛を生む力であり、

        愛せないということは愛を生む

        ことができないということである。



        愛とは、愛する者の生命と成長を

        積極的に気にかけることである。



        愛と労働は分かちがたいものである。

        人は、何かのために働いたらその

        何かを愛し、また、愛するもののため

        に働くのである。



        “愛は自由の子”であり、

        けっして支配の子ではない。

        神学の論理的帰結が神秘主義で

        あるように、

        心理学の究極の帰結は愛である。



        一人の人をほんとうに愛するとは、

        すべての人を愛することであり、

        世界を愛し、生命を愛する

        ことである。



        自分の役に立たない者を愛する

        ときにはじめて、愛は開花する。

        愛情深い母親になれるか

        なれないかは、すすんで別離

        に堪えるかどうか、そして別離

        の後も変わらず愛しつづける

        ことができるかどうかによる

        のである。



        誰かを愛するというのはたん

        なる激しい感情ではない。

        それは決意であり、決断であり、

        約束である。もし愛がたんなる

        感情にすぎないとしたら、

        “あなたを永遠に愛します”

        という約束はなんの根拠もない

        ことになる。



        愛は誰かに影響されて生まれる

        ものではなく、自分自身の愛する

        能力にもとづいて、愛する人の成長

        と幸福を積極的に求めることである。



        一人の人間を愛するということは、

        人間そのものを愛することでもある。



        利己的な人は、自分を愛しすぎる

        のではなく、愛さなすぎるのである。

        いや実際のところ、彼は自分を憎ん

        でいるのだ。



        愛の技術の習練という問題に立ち

        向かうことにする。

        …技術の習練には規律が必要である。



        規律正しくやらなければ、

        どんなことでも絶対に上達しない。

        “気分が乗っている”ときにだけ

        やるのでは、

        楽しい趣味にはなりうるかもしれ

        ないが、

        そんなやり方では絶対に

        その技術を習得することはできない。



        一人でいられる能力こそ、

        愛する能力の前提条件なのだ。

        自分自身を“信じている”

        者だけが、

        他人にたいして誠実になれる。



        他人を「信じる」ことのもう

        ひとつの意味は、他人の可能性

        を「信じる」ことである。



        愛するということは、

        なんの保証もないのに行動を

        起こすことであり、

        こちらが愛せばきっと

        相手の心にも愛が生まれるだろう

        という希望に、

        全面的に自分をゆだねることである。



        愛とは信念の行為であり、

        わずかな信念しかもっていない人は、

        わずかしか愛することができない。



        エーリッヒ・フロム

        【愛するということ】より



愛するということ-エーリッヒ・フロム




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