努力論

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        順風として喜んでいる人が 遇っている風は、逆風として 嘆いている人が遇っている風と まったく同じ風なのである “努力して努力する”― これは真によいものとはいえない。 “努力を忘れて努力する”― これこそが真によいものである 成功者は「自分の力」 として運命を解釈し、 失敗者は「運命の力」 として自己を解釈し ているのである 運命の移り変わる法則は運命の みが知っている。 ただ運命と人力の関係はわれ われにも知ることができる 自分ひとりだけの手足で つかむ福は知れたものである。 しかし、ほんとにちっぽけな ものであっても、それが集 まってたくさんの人の手足で 運ばれてくる福は大きい 努力というのは、 意志と感情とが相反し ている場合でも 、 意識の火を燃え立たせて 感情の水に負けないようにし、 そうして熱して熱してやまない ことをいうのである 努力よりほかにわれわれの 未来をよくするものはなく、 また努力よりほかにわれわれ の過去を美しくするものはな いのである 人の境涯は多様である。 自分だけを正しいもの とすれば、世の中は正しく ないものだらけで我慢でき なくなるであろう 普通でよいと願っていたの では、時として普通になる ことすらできない場合もある。 普通以上になりたいと願って、 やっと普通レベルにたどり ついたりするものだ 小さなことだと思って軽ん じるのは自分の心を尊ばない ということと同じだ …つまらないものでも、きれい な鏡ならば善く映るのである どんなに劣弱な能力であっても、 それをもっている者は、 自身のある領域だけでは勇気 をもち得るのである 習慣はその事柄の価値よりも 習慣の価値として尊いので あって、習慣ができる できないは、些細なことを 大事にするか疎かにするかに よって生じる 『運が味方につく人つかない 人―幸田露伴 “努力論”を読む』より
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