漂流者の生きかた

bigtoday > japanese > 今日の一言






五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。早稲田大学露文科中退。少年期に朝鮮から引揚げ、作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを連発。近年は人生論的なエッセイや、仏教・浄土思想に関心を寄せた著作が多い。

姜 尚中(カン サンジュン、강 상중、在日朝鮮人2世。 1950年(昭和25年)8月12日 - )は、日本の政治学者[1]。熊本県熊本市出身。東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長。2018年4月から、長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事に就任。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。



戦時中の朝鮮半島で育った「引き揚げ者」の五木寛之と在日朝鮮人2世の姜尚中。故郷を根こそぎにされた漂流者、あるいはデラシネ(根なし草)としての自覚を持つ両氏による初の対話集。確固たるものが見えない「鬱(うつ)の時代」をどう生き抜くか。沈着かつ、熱く語り合う。

見えない時代をどう生きるのか?希望は必ずある! 「鬱の時代」「見えない戦争」「日本人の限界」「ヘイトスピーチ」「格差社会の壁」「居場所を失った者」「震災と災害」 私たちの現実の切実な問いに五木寛之と姜尚中が初めて向き合いともに生き方を模索した魂と魂の対話集。



「はじめに」より(姜尚中)

文学の「巨匠」にして、米寿を迎えようとしている現在でも第一線で活躍する五木さん。大家との対談である、緊張しないわけがない。それでも、五木さんと話をしたいと思ったのは、いつまでも枯れずに「青春」を生きているように見える五木さんの、私には異様なほどに旺盛なエネルギーがどこから生まれて来るのか、知りたかったからである。

「デラシネ」が、悲哀に満ちた「根無し草」ではなく移植されることでより強くなった草を指すとすれば、彼らにはどこか五木さんと同じような「吹っ切れとる」胆力のようなものが備わっていたのである。五木さんに感じた懐かしさは、そうした父や母と共通する佇まいのせいに違いない。

学生の頃、私は自分たちのことを、日本にも、父母の国にも居場所のない「デラシネ」だと自嘲気味に語っていたものだ。しかし、今から思えば、それはセンチメンタルな「根無し草」の感覚を脱し切れていなかったことになる。そこには、「吹っ切れとる」したたかで柔軟な生きる作法が欠けていたのだ。

私にとって五木さんとの対談の最大の成果は、「吹っ切れとる」「デラシネ」で生きることが、「私たちはどう生きるか」の問いに答えるヒントになることを教えられたことである。

五木さんとの対談を通じて、私はあらためて「不確実性の時代」を生きる作法について考えさせられた。読者は本書を通じて、これからますます不確実になっていく時代を生きる手応えのあるヒントを探し出して欲しい。



「あとがき」より(五木寛之)

姜尚中さんとはじめて言葉をかわしたとき、なんと冷静な人だろうと思った。姜さんは私が生まれた福岡の隣の県である熊本で育っている。こちらは筑後であり、小栗峠という峠を越えたむこうは肥後だった。ともに九州の風土と縁があるにもかかわらず、姜さんはあくまで冷静で穏やかな印象だった。

私はひどく軽率な人間で、物事をあまり深く考えず、直感で動いてしまう典型的な九州人タイプなので、姜さんの冷静さが正直うらやましかった。知性とか教養とかいったものの差だろうかとも考えたが、そういうことでもなさそうに思われた。姜さんの静かさの奥には、なにか深い悲しみの気配が宿っていると感じられたのである。

はからずも姜さんと語り合う機会を何度も持つうちに、私は自然と姜さんの「熱さ」に気づくことになった。 姜さんは抑制の人である。テレビの討論の場で姜さんが発言すると、なみいる論客たちも口をさしはさまずに耳を傾ける。その穏やかな口調の背後に深く広い世界の重みを嗅ぎとるからだろう。

私は若い頃からデラシネという言葉に執着してきた。一般に用いられるような「根なし草」といった意味でなく、国境をこえて生きる人々の謂である。現代ならさしずめ難民のことだ。それは私たちすべての現代人の運命である。姜さんの冷たく熱い言葉に、今を生きる人間に共通の感覚がある。

ー東京書籍





東京書籍


今日の一言集